今なにかと世間をにぎわせている西宮市 今村市長。
先日の成人式での祝辞の一文。
市長として出席させてもらう、最後の成人式でした。
新成人の皆さん、おめでとうございます。
また、ご来賓の皆様におかれましては、
お忙しいなかご臨席を賜り、誠にありがとうございます。
また、これまで、この成人の日のつどいを準備してこられた
実行委員のみなさんのご努力に敬意を表します。
さて、新成人の皆さんは、もうとっくに有権者でもあり、
すでにお仕事なさっている方、お子さまおいでの方もいらっしゃいますが、
世間では「若い」と扱われがちです。
ですから、年上の人からのアドバイスをしばしばお受けすることになります。
それは、もちろんみなさんのへの愛からくるモノではありますが、
ハタチのみなさんが大事にすべきことは、必ずしも年上の人のアドバイスではありません。
たとえば、年上の人たちが「無理だ・やめておけ」と言ったりします。
その人は、あなたがその挑戦に破れて失敗すること、
そして、その失敗があなたを大きく傷つけることを心配してそう言ってくれているのです。
あなたへの愛ゆえにです。
彼は彼の経験上、あなたの挑戦が失敗に終わると思っているのです。
でも、その人が「無理だ」と言うのは、「その人にとって無理」だっただけで、あなたには可能かもしれません。
その人の限界より、あなたの限界がもっと遠いところにある可能性はじゅうぶんにあります。
また、たとえその人の言うように、あなたが失敗したとしても、
その失敗したところから、次の挑戦をすればよいだけの話です。
失敗して、傷ついて、だいじなものを失って、そして、そこからどうするのかこそが、
あたらしい価値を生み出せるかどうかなのです。
経験に基づく先人の言葉が価値を持つことも、ときにはありますが、
彼らの言葉に束縛されることなく、
自らで判断し、新しい価値を創造することのほうが重要です。
自分で決断し、自分で挑戦し、自分で失敗し、自分で這い上がり、
自分で限界を超え、自分で常識を疑い、
自分で新しい価値を創造し、自分で恋をし、
自分で血と汗を流し、自分で幸せをつかむ、
自由と責任があるんだという希望を、
きょう成人式で新たにしてもらいたいと思います。
-中略-
何を自分の幸せと定義するのか。
自分はどんな考えかたに遵ってこれから社会で動いていくのか。
それを自分で考えること、それこそがオトナになるということです。
私には創れない西宮を、私には創れない日本を、
私には創れない世界を、みなさんには創ってもらいたいですし、
私には想像できない幸せで、人生を彩って欲しいと思います。
みなさんが、これまでの人たちには無理だったことに挑戦し、
新しい価値を創造できなければ、社会は発展しません。
みなさんは、
私たちの世代に発明できなかったものを発明し、
私たちの世代に救えなかった人を救い、
私たちの世代が実現できなかった夢を実現する人たちです。
みなさまの若さに対して、最上級の敬意を表します。
-中略-
じぶんごとで恐縮ですが、私はこの5月で市長を引退します。
26歳から19年間やってきた政治家人生で、政治家としてやらなくてはならないことをやり切ったからです。
きょうを含めこれまで4回、市長として、これからの世界を創る新成人のみなさんにメッセージをする機会をいただきました。
それはほんとうに誇らしいことでした。
ただ、私はまだ45歳ですので、これから別の選挙に出たり、「元市長業」で食べたりするつもりはありません。
ぜんぜん違う分野に挑戦し、もういちど人生を楽しみたいと思っています。
いま私はみなさんと同じく、あたらしい挑戦を始めようという気持ちに満ち溢れています。
みなさんに負けずに、これまでの人に創れなかった世界をまた創りたいと思っています。
みなさん、がんばってください。
私も負けずにがんばります。
以上で、私の式辞とさせていただきます。
あらためまして、本日は誠におめでとうございます。
以上
きっと成人した彼ら・彼女たちの心には響いたのではないでしょうか?
時代を変える人、動かす人は少なからずも叩かれ、しかし諦めない。
文面からでも、ちからをいただきました。