1964年にご開帳されて以来の今年、50年ぶりに御本尊がご開帳された太山寺。
太山寺は今からおよそ1400年前に、用明天皇2年(586年)、豊後の国(大分県臼杵)の真野長者が、津の国(大阪)の浪速へ商いのため船団で瀬戸内海を航行中、丁度伊予の国の高浜沖(松山)にて大嵐に出合い、今にも覆らんとするとき真野長者は日頃より熱心に信仰をしていた「お観音様」に、一同の無事を願ったところ暗天の中、山の頂きより一筋の光明が輝き、嵐が静まり無事に高浜の岸に船団を寄せる事ができました。
夜が明け高浜の岸に上がった一同は、あの光明の輝いた山の頂きに登って見ると、そこには小さな草堂があり一寸八分の十一面観音様が祭られていたのです。(現在の奥の院)
その後、我らをお救い下さったのはこのお観音様に違いないと、真野長者は一宇建立の大願を起こし、早速本国の臼杵に引き返し多くの工匠を集めて、間口66尺、奥行81尺の本堂の切り組みに取り掛かったのです。
すべての木組みを整えてから船積みし、追い風を受け1日で高浜の港に着き夜を徹して組み上げ、東の空の白む頃一大御堂は朝日を受け、さん然と輝き建ち上がったのです。
このゆえ人々は太山寺の本堂を「一夜建立の御堂」と呼んでいるのです。
現在の本堂はこれより3度目の建立で、鎌倉時代の嘉元3年に建立され、和様式、唐様式、天竺様式の巧みに取り入れられた三国様式の重厚な本堂で、国宝に指定されています。
次は2064年。私は81歳。