地域の行事は地域の宝 vol2

秋祭り本番。10月7日がやってきました。

前日の宵祭から公民館で過ごし、午前3時30分に集合し各町集まり神輿を担いで出発です。

私たちの「勝岡一体走り」とはこんな祭り。

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褌(ふんどし)を絞めた10人の神守(しんもり)が重さ300キロから400キロの神輿を担ぎ、約100mほどの参道を駆け抜けます。

神守の足が揃うと、神輿は軽やかに進みます。足が揃わなければ、神輿はバランスを崩し最悪の場合は転倒します。

このお祭りは江戸時代頃、勝岡の特産だった塩を朝廷に献上する際、遠浅の和気浜(わけはま)を褌一丁の若者たちが、沖合に停泊している御用船(ごようせん)まで塩を濡らさないように担いで走っていったのが始まりというものです。

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今年からデビューした息子も私と同じく早朝より大人神輿について歩き、祭りに参加。自身の息子と祭りに参加できることの喜びと、一緒に祭りをやっている不思議な感覚を感じました。

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赤色の神輿が私たち「太山寺」のお神輿。そして黄色の神輿が「高浜一丁目」の神輿。

これまで、何十年と高浜一丁目の神輿は太山寺の神守によって一体走りをおこなってきましたが、今年は高浜一丁目より4名の神守が誕生し記念すべき一体走りデビュー、そして高浜一丁目一体走りの復活となりました。

二体を横にならべ、20人の神守が記念撮影。この一体走り復活により太山寺地区と高浜一丁目地区の絆がこれまで以上に深まったのは言うまでもありません。

一体走りを終えると各町に戻り、各町にて神事が行われます。

今年、新築の家にて記念撮影。

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こうみると、人が少なくなったなぁというのが正直な感想。でも、地域を愛し地域を良くしようという想いの同志達です。

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息子が少年団デビューというのと、大人神輿に張り付き頑張っていたということで子供神輿を急遽わが家に寄ってもらい、神事と記念撮影。

私が住み暮らす、この町は母の里です。母は女兄弟でしたから祭りには参加しない環境で私の父は九州の人間ですから、そこまで根強く地域に入り込んでいる人間ではありませんでした。

子どもの頃は、親が祭りをしているところの子どもは、とても羨ましく思っていたのを鮮明に思い出します。

そんな中、今は亡き地域のリーダーだった人が子どもの頃から可愛がってくれ祭り馬鹿に仕上げてくれました。

今、息子と祭りをしていて思うのは、自分が体験できなかった事をやらせてやりたい。でも、自身が通ってきた環境で感じた駄目なことは、しっかりとしつけよう。そう思います。

どこの子どもより厳しくされているのは、うちの息子。甘やかし親の七光りだけにはささないように。

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一睡もせず祭りをやりきった息子は、祭りが終わるとスイッチが切れたのか秒速で寝落ちました。しかも白目を剥いています。

よく頑張りました。また来年も息子と祭りがしたいと思わせてくれた今年の祭りでした。そして、次代に繋がるようにしっかりと地域を愛し、次代に繋いで参ります。