昨日は、一昨日からスタートした「第47回松山まつり」へ急遽見に行く事になり行って来ました。
姪っ子達が松山まつりの踊り子として参加するとの事で行って来ました。
子どもたちの踊りは良いですね!元気いっぱい!
と言うことで松山まつりの発祥を調べると・・・
<松山にも名物の踊りを>
『松山まつり』(第6回までは『松山おどり』の名称)の誕生は、昭和41年にさかのぼる。
その2年前には、東京オリンピックが開かれ、日本を世界にPR。前年の41年11月には、松山-東京間に空の直行便が飛ぶようになり、41年4月には天皇・皇后両陛下をお迎えして、温泉郡久谷村(現松山市)で植樹祭も行われた。いわば、日本全国が上昇気運に加速をつけかけえた時代であった。
「祭り」と言えば、やっぱりハイライトは「踊り」だろう。四国には、全国にその名を知られる“おどり”が多い。筆頭は、何といっても徳島の「阿波おどり」、高知の「よさこい鳴子おどり」も有名だ。そして、香川の県都にも“高松おどり”が39年にお目見えした。
松山市としてもこの際、名物の“おどり”をつくって「踊りの四国ひと巡りは、どんなものか」と考えたのが、『松山おどり』誕生の経緯だった。かくして、松山市・松山商工会議所・南海放送・愛媛新聞社が主催する『松山おどり』は、手探りながら歩みを始める。
<周辺の市町村からも参加>
新しく作られた踊りは「伊予の松山鼓踊り」。能楽ファンの多い松山で、能の舞をヒントに考案された“鼓踊り”で、マンボ調の軽快な踊り。「全市挙げての夏祭りにしよう」と、市内各所の盆踊りを統一する形がとられた。
第1回『松山おどり』は、8月13・14の両日と決まり、前日の12日には、扇崎秀薗舞踊集団の踊り子らが参加、オープンカー10台を繰り出してのパレードで、『松山おどり』の宣伝開始。午後1時、市役所前を出発したが、それに先立ち、得能通任松山市助役が「新しい“松山おどり”を盛んにする先達として、みなさん頑張ってほしい」と激励した。宣伝パレードは、市内一円のほか、北条市や伊予市方面まで足を延ばして広く参加を呼び掛けた。 いよいよ、まつり初日。市内をはじめ北条市や周辺の町村からの参加組もあり、45連、約3千人の踊り子が、二手に分かれて松山城下の中心街を踊り抜いた。
松山まつりと言えば・・・野球拳 野球拳の歴史は公式ホームページを!
今、踊っている子ども達が大人になった頃には歴史あるお祭りになるかもしれませんね!!