今日は早朝より村田さんをホテルへお迎えにいき、道後温泉本館へ。
道後温泉本館は、2019年1月より約6年間にわたる保存修理工事に着手。2024年12月にすべての修復を完了し修復完了後初めての入湯となります。
村田さんは20年ぶりくらいらしい。
道後温泉は、江戸時代・1635年、松山藩主・松平定行が温泉を整備し、庶民・士族・僧侶用など複数の浴場となりました。
その後、1890年に老朽化した温泉施設の再生を目指し、初代町長・伊佐庭如矢が率先して改革に着手をおこないます。
その時の理念は、「100年後に誇れる建物を」を掲げ、自ら無給を申し出て財政を捻出し工事は1894年に竣工しました。
しかし、そんな簡単な話ではなかった様です。
明治20年代、道後温泉の湯屋は老朽化していましたが、地元民の多くは「今のままで十分」と保守的。
・「三階建ての木造建築なんて火事が怖い」
・「借金してまで湯屋を立て直すのか」
・「湯を利用するだけなのに、贅沢すぎる」
という批判の声が渦巻き、町会でも反対多数。
しかし伊佐庭は自ら無給を申し出て、自費で建設費の一部を負担するなど覚悟を示します。
その後、多くの町民が木材の提供や労力で支援。徐々に反対派も賛同していきました。
塔屋を頂いた三層楼は当時としては斬新で、「温泉にお城が建った」と話題に。
後に漱石の『坊っちゃん』にも登場し、全国的な知名度を得ます。
町民の保守的な空気を打破し、信念と協力によって町の未来を切り拓いた奇跡の物語として今も語られます。
そして現在、本館の保存修理事業もまた「100年先を見据えた再生」として、当時と同じ精神で進められています。
いつの時代も同じなんだと。反対派は必ずいる。しかし、誰のためなのか?自己の利益の為だけでは誰も動きません。
まさに普請業。未来の子どもたちの為にですね。